2002年4月14日


     ヨハネの福音書 2:1-11

     「最初のしるし」   西  勇人

イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光 を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。    (ヨハネの福音書2章11 節)

今日の舞台となっているのはガリラヤのカナで行われた結婚の祝宴です。誰の結 婚式であるかは明らかにされていませんが、マリヤがぶどう酒が足りなくなったこ とを心配し、手伝いの人たちに指示しているところから察するに、マリヤにとって 親しい関係にある者の結婚式だったでしょう。当時の祝宴は、数日間から長くて一 、二週間続くことがあったようですから、このような出来事が現実に起こり得たで しょう。

母マリヤは、酒宴の危機に対して主に「ぶどう酒がありません」と窮状を訴えて います。それに対する主の「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方 。わたしの時はまだ来ていません」との言葉は、一見冷たい拒絶のように聞えます が、必ずしもそうではありません。主は、ご自身と彼女との関心事が異なること、 そして御業が行われるのは母の願いによってではなく、父の御心によってであるこ とを指摘しておられます。ですから、マリヤはそれを受け止め、すべてを主に委ね て手伝いの人たちに「あの方が言われることを、何でもしてあげてください」と指 示しているのです。

手伝いの人たちは、主が命じるままに6つの水がめに「水を満たし」、さらにそ の水を汲み上げて「宴会の世話役ところに持って行」きます。するとどうでしょう 。水は不思議にも世話役が驚くほどの良質のぶどう酒に変わっていました。手伝い の人たちはただ主の言葉に従っただけです。彼らはなぜ今、自分たちがそのような 事をしなければならないのか分からなかったでしょう。しかし、主はそこにご自身 の栄光を現されました。なぜという問いかけは時にはとても大切ですが、主の言葉 に従わないことの言い訳にならないようにすべきです。主の御業を担う人たちに期 待されているのは従順です。人をお救いになるのは主です。しかし、そのためには 私たちは忠実に福音を伝えなければなりません。

主はその短い公生涯において数多くの奇蹟を行われました。そして、今回の水を ぶどう酒に変えられるという奇蹟はその「最初」のものです。主の奇蹟について新 約聖書はおもに次の3つの言葉(使徒2:22など)を用いています。「不思議」(テラス) 、「力あるわざ」(デュナミス)、「しるし」(セーメイオン)です。「不思議」は主 の御業の異常さに、「力あるわざ」はその偉大な力に強調があります。「しるし」 は、御業そのものよりも、それが何を意味しているかに強調があります。主は「最 初のしるし」を通して「ご自分の栄光を現され」、「弟子たちは」それを目の当た りにしてさらなる信仰へと導かれました。主の奇蹟は主が「神の子キリストである 」(20:31)ことを証明する確かな「しるし」です。私たちは主の御業に単に驚嘆する だけではなく、そのお方が何者なのか見失ってはなりません。

 

 


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